2013/02/24

項羽と劉邦に学ぶ、リーダーシップとマネージメント



司馬遼太郎の著書、「項羽と劉邦」はご存知だろうか。
司馬遼太郎の代表作の一つで、「四面楚歌」という言葉も生まれた、紀元前200年頃に起きた楚漢戦争を取り扱った物語だ。



項羽と劉邦 (上) (新潮文庫)
司馬 遼太郎
新潮社
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この物語は、歴史上比類ない猛将であった楚の項羽と、取り立ててこれといった才能もなかったが周囲の才気あふれる武将や謀将にたすけられた漢の劉邦を描いている。
劉邦率いる漢は、直接の野戦で一度も項羽を下したことはなかったが、最終的には漢は項羽を打ち破り、漢帝国を敷いた。

武人としても武将としても圧倒的に優れていた項羽が、これといった才覚を備えていない劉邦に敗れたという史実には、ビジネスに繋がる多大なヒントがある。
この古典に学び、リーダーシップやマネージメントについて学んでみよう。


能力のある家臣を褒賞・重用しなかった項羽
項羽が失敗した理由としてまず責められるべきは、自らの血縁やシンパだけを褒賞し、不公平な待遇を処したことにある。
項羽は秦の名将・章邯を打ち破り秦帝国を転覆させたが、その際に多くの武将が輝かしい功を立てた。
しかし、項羽は自分の親族や自分とともに前線で戦った武将ばかりを褒賞し、参謀や裏働きをした武将たちにほとんど報いなかった。

一方の劉邦は、自分が武将として才覚を持っていないことを自覚していたため、周りの声を良く聞き、実績がなくとも才覚のある者を厚遇して兵を与えた。
こうして劉邦は漢帝国を築くのに大きな役割を負った張良や韓信を得た。

今の時代でもよく言われることだが、実力と志のある人物にはそれ相応の仕事を与え、報酬も与えなければ優れた人材はすぐに会社を去ってしまう。
これは2000年以上も前から当たり前のように繰り返されてきた失敗なのだ。


自分の実力だけでのし上がってきた項羽、周りの実力だけでのし上がってきた劉邦
上でも触れたが、武将としての実力派圧倒的に項羽が優れており、劉邦は一度も野戦で項羽に勝ったことはなかった。
項羽が前線にいる限り項羽軍は一度も敗れたことがないが、ついに天下を取ることはできなかった。

結局、項羽軍は項羽の超人的な武力に依存していたため、戦術レベルでは常勝していたが、戦略レベルで何人もの賢者の意見を聞き入れていた劉邦には勝てなかった。
この点、常に劉邦のほうが高い視点を持っていたと言える。
劉邦が項羽に勝てたのは、劉邦が項羽と比べ物にならないほど兵糧の重要さを理解し、兵糧の確保を徹底したことに依拠していた。
項羽は兵糧の確保を甘く見ており、結果的に飢えた兵卒が離れていき、項羽軍は弱体化して最後には孤立してしまった。

戦術での100勝は戦略での1勝に劣るのだ。


唯一の参謀であった范増を失って以降、項羽は正面から武力で相手を攻め滅ぼすという自分の価値観と同じタイプの武将ばかりを自軍に置いていた。
その中で頂点に立つ項羽に文句を言うものや、策略を提案するものはいなかった。
このため項羽軍は戦略的な動きというのは一切無く、武力でもって相手を正面から強撃するという戦いばかりを繰り返していた。
その結果、劉邦たちに兵糧を運ぶ手立てを絶たれ、それが敗北の決定的な要因になってしまった。

このように多様性を失った集団は、簡単に敵の策謀の前に堕ちてしまう。


項羽は人心を得られず、劉邦は人心を得たことで漢帝を敷くことができた、というのが楚漢戦争から学べる哲学の真髄だ。
どれだけ超人的な個人であっても、大きな志を成し遂げるには1人の才能では足りない。
それよりも超人的な10人の才能をまとめる1人のリーダーやマネージャーが必要なのだ。 





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