2013/03/13

逆説: 石の上にも三年


石の上にも三年とは年長者が若年者にする説教の中でよく聞く常套句だ。
本来の意味は、石の上にも三年乗らなければ、それに何の意味があるか本質的な意味はわかってこない。
だから3日で飽きても三年は乗り続けろという事だ。

私のさほど長くない人生経験からしてもこれは間違っていない。
三年たたなければ見えてこないことは沢山あるのだ。

だが、私はどんなに嫌なことに対しても「石の上にも三年」根性を出すべきという論調には大反対だ。
私は、石の上にも三年という言葉には耐え忍ぶという美徳以外の意味も含まれていると感じる。


逆説: 「石の上にも三年乗るべき。だが、ちゃんと石は選べよ」
何にでも飛びついて三年かじりついていると、人生はすぐに終わってしまう。
20歳から60歳まで自由に道を選べるとして、三年間違った石に乗っていると自由な時間の8%を無駄にしてしまうのだ。
しかもその無駄は生きている限り複利で自分につきまとう。

三年かけてじっくり一つの世界を知るべきという教えは、全くその通りではある。
だけど、それ以前に自らが何者になりたいのかを理解して、その目標を実現するためにその石は必要なのかを見極めてから乗らないと全く無為な三年になってしまう。
石に三年のればなんでも良いわけじゃない。


逆説: 「石の上に三年乗っても何も変わらないなら、さっさと下りて次へ行けよ」
石の上の三年は、石に乗ることの本質を悟るための三年でもあるけれど、別離を決断するまでの三年でもある。
世の中、どんな経験からも得るものはある。
だが、だからといって何でも何十年も続ければ良いというわけでもない。

例えば、石の上に乗ることを誰かに師事することに置き換えて考えてみる。
素晴らしい立派な人から学ぶことは当然として、褒められるところがほとんどない人にも探せば学ぶところがある。
あなたはどちらの人に師事したいか?
ひねくれ者でもない限り前者だろう。
どんなことからも学べるが、同じ時間で学べる量や質が違う。

翻って、三年学んでも得られるものが少ないようなことなら、痩せた大地に種を撒いたようなものだったのだとあきらめて決別したほうが良いのだ。
さっさと次を探そう。
8%で損切りしてしまおう。


「石の上に三年乗ったからって何か変わると思うなよ」
石の上にも三年とは、三年かじりついていれば変化が訪れるよという甘言ではない。
そのうち誰かがチャンスを与えてくれるよ、という意味でもない。
三年もそれに関わっていれば、自分の見方が変わるよということを言っている。

でも、誰かが気まぐれにくれたチャンスなんかより、そっちのほうがよっぽど大事なのかもしれない。









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photo credit: rahen z via photopin cc

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