2013/07/16

ゲームは退化して進化した


私は6歳頃に初めてファミコンに触れてから、だいぶ接触濃度は薄くなったものの継続的にゲームを楽しんできた。
ゲームはモノによっては芸術性もストーリー性も高くプレーする価値のあるゲームもあるとは思うが、基本的に何も生み出さない非生産的な時間の使い方であり、同じ非生産的活動でも教養の学習のように価値があるとも思っていない。
もし、ゲームをプレーせずに済むのならそのほうが良いと思っているのだが、ふとしたきっかけからゲームを始め、やたらのめり込んでいしまう悪い癖を持っている。

さて、そのゲームなのだが、ここ10年程度で大きく変わったと感じる。しかも、悪い方に。
何が変わったかというと、謎解き要素や技術を高めて対戦で勝利するというようなゲームが多かったのだが、最近はプレイヤーの操作が極端に単純な、いわゆる'ボタン押しゲー'のようなゲームが増えてきたのだ。

この傾向は、モバイルゲームの領域で顕著だ。
最近この手のモバイルカードゲームをプレイしてみたのだが、プレイヤーは大雑把な方針を考えるだけで、あとはボタンを押すだけで淡々とゲームが進んでいく。
それでいて、プレイヤーは数時間おきにこまめにアクセスしなければなかなかゲームが進まないし、プレイヤーの強化もままならないという仕組みが随所に作られているゲームであった。
あたかも短い期間でも多い頻度でゲームにアクセスさせ、意図的に中毒のような状況にプレイヤーを追い込もうとする仕掛けだ。

更には、巧みに自分の分身であるプレイヤーを強化したい、他のプレイヤーに認められたいという気持ちを煽るように、短時間で強化するためにアイテムや普通のプレーでは手に入らない強力なアイテムを課金する。
こうした課金アイテムは射幸心を煽ってレベニューを最大化するために'ガチャ'形式で提供される。
つまり、レベニューを最大化するために心理学的要素を利用して最適化されたゲームを作っているのだ。


無論、エンターテイメント性、芸術性、ストーリー性をユーザーに楽しんでもらうためのゲームもまだまだ作られているが、単純でレベニュー最適化されたゲームのほうが多くのプレイヤーの支持を集めつつある。
こうした中毒性の高いモバイルゲームは、ビジネスとしては合理的で利益率の高いビジネスになっているが、社会にとって基本的にポジティブよりもネガティブの方が大きく思えてならない。
いくら儲かっても、社会にとってネガティブなビジネスは存在しないほうが良いと私は思っている。

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